コンディショニング研究会

カラダのコンディショニングとは?
知っているようで奥深い”コンディショニング”について
分かりやすく解説します。

マラソン金メダリスト野口みずきさん×コンディショニング研究会杉田正明代表
名言「走った距離は裏切らない」の裏側
野口みずきの選手生活を支えたコンディショニング術

コンディショニング・スペシャル対談 Vol.2(前編)マラソン金メダリスト野口みずきさん×コンディショニング研究会杉田正明代表

元マラソン選手 野口みずき
元マラソン選手
野口 みずき (のぐち みずき)
1978年7月3日生まれ、三重県伊勢市出身。高校卒業後ワコール、グローバリー、シスメックスの陸上競技部に所属。2004年アテネ五輪金メダル。2005年ベルリンマラソンで女子マラソンの日本記録・アジア記録となる2時間19分12秒で優勝。2016年4月引退。2019年1月、岩谷産業陸上競技部アドバイザーに就任。

各界で活躍するプロフェッショナルとコンディショニング研究会アンバサダーがコンディショニング術を語るスペシャル対談の第2弾。世界のトップに上りつめた野口みずきさんと、野口さんの高地合宿への帯同経験もある本研究会の杉田正明代表が、勝つためのコンディショニング術を語ります。

高地での走り込みが功を奏した

――野口さんといえば猛練習のイメージがあるが。

杉田代表

杉田:アテネの前、スイスのサンモリッツで合宿していたときは本当にものすごい練習量だったようですね。走行距離は1カ月で合計1300km以上。毎日40km以上走っていた計算になりますから。

野口:当時は走れば走るほど闘志がわいてきました。サンモリッツは世界の一流選手たちが合宿している場所なのでそれも刺激になって。とにかく毎日走ることしか考えてなかった。「私は世界一の練習をしてきた」という自信を持っていましたね。

杉田:それが「走った距離は裏切らない」という名言にもつながったのですね。激しい練習を1日も休まずやっていたわけでしょう。

野口:そうですね。一応オフみたいな日もあるんですけど、そんな日も朝は必ず20kmは走っていましたから。

杉田:そのころは野口さんに限らず日本のトップ選手はチームごとにコンディショニングを行い、私たちのような科学スタッフは帯同しないのが一般的でしたが、チームではどのような取り組みを?

野口:暑い所でのレースとわかっていましたが、同じような暑い所で合宿をやろうという選択肢はうちのチームにはありませんでした。内臓の疲労を避けるためにも、涼しい所でしっかりトレーニングをやったほうがいいということでサンモリッツに。その選択は見事に当たりましたね。暑い所でトレーニングをしていたら、途中でつぶれてしまって思うように練習できなかったのではないかと思います。

故障との戦い、リハビリ中は周囲から力

――マラソン人生は故障との戦いでもあった。

野口みずきさん

野口:年を重ねるごとに回復力の遅さが響いていったような気がします。練習は何とかこなしても「朝起きて痛くなっていたらどうしよう」とか。トレーナーに任せきりにせず自分でも気をつけていましたけど、気をつけても防ぎきれなかったのが2008年以降だったのかなと。自分では2007年がピークだったと思うんですが、その直後に故障しました。

杉田:激しいトレーニングは故障と隣り合わせでもありますからね。

野口:2007年に東京国際女子マラソンを走ったあとにがんばりすぎたのもあって、知らないうちに体が悲鳴をあげていたのかなという感じで。2008年になった途端、それまでできていた練習が思うようにできなくなって。合宿中に肉離れを起こしました。

杉田:痛めたのは左脚太ももの後ろ側の筋肉でしたね。リハビリも時間がかかって大変だったでしょう。どのようにしてメンタルを保ったのですか?

野口:私けっこうプラス思考なんです(笑)。故障した直後はさすがに落ち込みましたが、京都の病院でしっかり診てもらい、あとはどうやったら早く立ち直れるかということだけを考えていました。

杉田:ああ、多くのアスリートがリハビリをしている病院。

野口:はい。女子サッカーとか、いろんな種目の選手が地道にリハビリしているのを見て「私もがんばろう!」と前向きな気持ちになれました。みんなががんばっているので力をもらえるというか。寮で一人黙々とやっていたら気持ちも滅入りますから。

杉田:リハビリではどのようなことを?

野口:要するに機能回復トレーニングなのですが、落ちた左脚の筋力を右脚と同じに回復させないといけないので。1セット100回以上の反復運動を何セットも。ひたすら地味に。

杉田:また走れるようになったときはうれしかったでしょうね。

野口:はい、すごく。普通に走れるようになるまでに1年以上かかったので。とにかく汗をかけないのが気持ち悪かったんです。体の中にどんどん悪いものがたまっていくような感じがして。リハビリ中にたくさんの方が声をかけてくれたのも励みになりました。1年以上も試合に出られないと、世間の人に忘れられちゃうじゃないですか。そんなとき、(バルセロナ五輪マラソン銀メダリストの)有森裕子さんに「1回忘れられたほうがいいんだよ」と言われ、すごく気持ちが楽になったのも大きかったですね。

尿や汗のデータを見て納得

――科学スタッフが入ってからのコンディショニングは。

野口みずきさん

杉田:野口さんに限らず本番のレースを故障で走れないという選手が多くなってきたため、2011年から日本陸上競技連盟は科学スタッフを合宿に帯同させるようになりました。それで2013年のモスクワでの世界陸上の前に、米国ボルダーの合宿で初めて野口さんとお会いして。

野口:2013年というと体力的にもかなりきつくなっていたころだったので......尿や汗の検査などしてもらいましたよね。若い選手たちに比べて私の数値は悪かったじゃないですか。「だから今の練習についていけないのかな」とか、すごく考えちゃって。

杉田:アテネから10年近く経っていましたから。若い選手たちに比べて確かに数値は良くない傾向でした。尿の比重で脱水状態がわかりますが、野口さんは脱水している日が多かったですね。尿のpHは6台が普通なんだけど、練習すると体が酸性になって5台に落ちる。食事をして風呂に入って睡眠を取れば翌日にはまた6台にもどるものですが、野口さんは翌日ももどらない日が多かった。

野口:練習後に「何かだるいな」と感じるのとデータが一致するのを見て「やっぱりそうだったんだ」と納得できましたよ。特に体調が悪いわけでもないのに、若いときの体とは違うのかなと。自分の状態を確認できたのはよかったです。

杉田:そう言っていただけるとうれしいけど、良くない数値を見せられ、また若い選手たちと比べられて、内心イヤだっただろうなと思います。それでも前向きに取り組んでくれたことに対して改めて感謝申し上げます(笑)。

野口:まあ、その瞬間はショックでしたし、現実から目を背けたい気持ちもありました(笑)。それにしてもアテネのころの尿や汗のデータがあったらよかった。若かったにもかかわらず当時も良くないデータが出ていたとしたら、自分は疲れていても"いける"体だったことになりますよね。反対に、良いデータが出ていたら疲れにくい体だったということになるし。

杉田:うーん、それは後者の可能性が高いんじゃないかと思いますが、当時のデータがあれば以後の野口さんのコンディショニングにも大いに活かせたでしょうね。あとに続く選手の参考にもなったかと。

あの状態で2時間33分台はすごかった

――現役最後は名古屋でのレース、記録も順位も個人ワースト。

杉田:今日はこんなデータを持ってきたんですよ。現役最後のレース、2016年の名古屋ウィメンズマラソンの直前にいろいろ測ったでしょう。最大酸素摂取量(1分間に体にとり込める酸素の最大値、全身持久力の指標)は女性のトップアスリートだと70(ml/kg/min)くらいですね。このとき野口さんは約70以上の水準でしたからやはりトップレベルでした。そして、もう1つの指標となる血中の「潜在的抗酸化能」(BAP/d-ROMs比、以下B/R比)。この数字が高いほど酸化ストレスに対抗する力があり、体の免疫力が高いと考えられます。B/R比は7.5以上というのが1つの目安で、生活習慣病の人などはもっと低くなる。逆にオリンピックに出るような長距離選手になると、これが9とか10になります。野口さんはこの数字が良くなかった(グラフ)。

【グラフ】安静時の潜在的抗酸化能

安静時の潜在的抗酸化能

野口:1年でもこんなに変わるんですね。

杉田:私からみたら、この数字でフルマラソンを2時間33分台で走れるなんてすごい! 2時間19分台の記録を持つ野口さんは「最悪」と思ったかもしれないけれど、これこそが「野口みずきの強さ」だと本当に思いました。

野口:ありがとうございます。それもっと、いろんなところで言ってください(笑)。

――対談の後編では、野口さんが現役時代を振り返って思うこと、そして今について紹介します。